二つの果実  

ポール・セザンヌ
(1839−1906)
Paul Cezanne

 現代絵画の父と称されるフランスの画家。エクス=アン=プロヴァンス生れ、同地で没。はじめエクスの大学で法律を学ぶが、画家を志してパリに出、1860年以降は、パリと故郷を往き来して絵の制作に没頭する。初期の約10年間は、暗いバロック風の主題を扱い、大胆な筆づかいで力強い画面を示した(「父」「母」〔1866−67年〕の肖像や「黒人シピオン」〔1867年頃〕など)が、パリで最初の知友となったピサロから、1870年頃、印象主義の影響を受け、色彩は明るく変化していった。印象派展にも、第1回および第3回と二度参加している。「首吊りの家」(1873年、オルセー美術館)や「ショケ氏像」(1877年、ロスチャイルド・コレクション)などがこの期の代表作である。
しかしその後、セザンヌは次第に印象主義を乗り越え、1880年以降は主として南フランスで制作を続け、風景画、静物画や水浴図を描く。代表作としては、数々の「サント・ヴィクトワール山」(フィラデルフィア美術館ほか)や、二人から五人と登場人物の数を変えて描いた「トランプをする人々」(バーンズ・コレクションほか)、大水浴図(フィラデルフィア美術館ほか)などがある。
建築を思わせるような構築的な構図と確固とした形態(フォルム)、青と橙色を基調とする平塗りの色彩を用いて、自然の重厚な存在感や、深い人間洞察と哲学的な瞑想を静謐な空間の中で捉えたその画面は、のちのキュビスムをはじめとする現代絵画の諸流派に極めて大きな影響を与えるものとなった。また、エミール・ベルナール等の画家たちに宛てた手紙に、自然把握の認識論ともいうべき貴重な言葉が書き綴られ、その言葉に啓発されて絵画の在りようを根本的に問い直したピカソやブラックなど、二十世紀の巨匠はいずれもセザンヌの世界から自分たちの絵画を切り掛、ていった。
わが国へのセザンヌの紹介は、明治38(1905)年からヨーロッパへ留学した有島生馬が、帰国後『白樺』の同人に加わって同誌上に発表した「画家ポール・セザンヌ」(第一巻第二号、明治43〔1910〕年)を嚆矢とする。同号に収録したセザンヌの作品は「静物」であった。
続いて同巻第三号で意欲的な論考を展開し、併せて「自画像」を插画として掲載した。以後、『白樺』は再三にわたって、セザンヌの絵を插画に収録し、第三巻第九号(大正元年)では「自画像」「セザンヌ夫人」「ショッケ」などの代表作を紹介したほか、エミール・ベルナールの「回想のセザンヌ」を有島が翻訳して同誌上で発表(第四巻第十一号、第十二号、第五巻第一号、第二号、第五号)した。挿画もその後、「トランプをする人々」「サント・ヴィクトワール山」など、主だった代表作を取りあげている。白樺美術館創設の夢は、ロダンに続いてセザンヌ、ゴッホの作品を入手することから具体化への道を歩んだ。

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ピクニック
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