白樺美術館 ~白樺派の構想したまぼろしの美術館

Shirakaba Musseum / Museum conceived Shirakaba-ha


UPDATE: 2018年7月5日

白樺美術館 ~白樺派の構想したまぼろしの美術館

白樺派の作家たちは、夢みていました。いつか自分たちの美術館を建てることを。白樺派とは、国語の教科書にもその名が出てくる、明治期の文豪たちです。武者小路実篤、志賀直哉、里見、有島武郎……明治43年(1910年)、彼らは数年に渡って構想していた雑誌『白樺』を刊行し、そこから「白樺派」の名前がつきました。雑誌『白樺』には画家の中川一政、梅原龍三郎、岸田劉生も参加しており、文壇を超えて、洋画・日本画壇をも大いに活気づかせました。

その一巻を紐解いてみれば、同人たちによって創作された小説や詩、翻訳作品に交じり、輝ける西洋画の巨匠たちの評伝と、その作品図版を見つけることができます。それもそのはず、セザンヌ、ゴッホ、ルノアールの作品を日本に紹介したのは、彼ら、白樺派だったのです。「凝り屋が揃って居るので」と自称する同人の作品と挿画は、若き芸術家たちを熱狂させました。そうして巻数を重ねるごとに高まってゆく白樺派の美術への情熱は、全18回の美術展覧会の開催に及び、やがて、美術館建設が構想されます。始まりは、白樺派の同人が、ロダンに浮世絵を贈ったところ、お返しに「ロダン夫人胸像」が贈られてきたことで、これを展示する美術館を建てようとしたのでした。武者小路実篤による「日記のかはり」と題された美術館建設の計画を記した文章では、興奮で夜も寝られない様子が描かれています。設立に向けての、募金活動などの資金調達と作品収集、書簡のやり取りが頻繁に行われる中で、しかし1923年の関東大震災を期に、雑誌『白樺』は終刊。太平洋戦争を経て収集作品が消失する事件もあり、ついに白樺派の構想した「白樺美術館」は、まぼろしとなったのでした。

当清春白樺美術館は、白樺派の武者小路実篤、志賀直哉両氏と深い親交のあった故・吉井長三によって、構想からおよそ65年の歳月を経て、その夢を実現させた美術館です。本展では、白樺派とその影響を受けた芸術家たちの作品を展示しております。雑誌『白樺』の紡いだ世界を、心ゆくまでご鑑賞いただければ幸いです。


白樺美術館 ~白樺派の構想したまぼろしの美術館
Shirakaba Musseum /Museum conceived Shirakaba-ha
2018年7月10日(火)ー9月30日(日)


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