顔と抽象──スペクトラムとしての絵画
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顔と抽象はスペクトラムを成している。
こういうと分りにくいかもしれないが、顔、特に自画像は自意識の強度が最も強いもの、抽象画は自意識を消しさろうとする試みとすれば、自意識の強さをスペクトラム(連続体)として並べてみたら、この時代の絵画の歴史を切り取ることができるのではないか。
要するにこういうことだ。
デカルトが「われ思う、ゆえに我有り」と身心の二元論を唱えて以来、私たちは自意識という病に取り付かれている。そしてその病が私たちのアートを生み出している。
近代の相克と葛藤。近代の日本の画家達は伝統的な日本の感性を有しながら、西欧的技法を習得しなければならなかった。梅原であり、志賀であり、藤田であり、松本であり、原田である。皆、自画像に傑作がある。これは近代の矛盾がなせる強さである。矛盾あるところに秀でた表現は生れる。「我描く、ゆれに我有り」の苦悩が結実しているのだ。
しかし私たちの現代は違う。近代における自意識と外部の対立は解体し、むしろ自意識が失われて行く時代を生きている。自意識を描く自画像は姿を消し、顔は様々な意匠をまとう。しかしまとうことで豊かになる表現もある筈だ。並べられた顔の作品群は近代の強さと現代の豊かさとの対比ともいえる。
そして自意識が失われてしまえば、そこには、美意識だけが抽出されることになる。そこでは形や色彩、質感といったそのままが純粋な形で表出される。抽象画の誕生だ。
してみると絵画とは自意識のスペクトラムを往復する美の冒険であると言えるのではないだろうか。堪能して頂ければ幸いである。
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高橋コレクション主宰・精神科医
高橋龍太郎
高橋コレクション 顔と抽象 ── 清春白樺美術館コレクションとともに
Takahashi Collection ─ Face and Abstraction
2018年3月18日[日]─5月6日[日]
清春芸術村 清春白樺美術館/光の美術館/梅原龍三郎アトリエ
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